もしも、南海の杉浦投手の時代に、コンタクトが有ったら…?

かつて、南海ホークスに、杉浦忠という、大投手が居ました。
杉浦投手は、立教大学時代は、あの長嶋茂雄と同期で、長嶋、杉浦、本屋敷錦吾の三人は「立教三羽烏」と称され、立教に黄金時代をもたらしました。

長嶋は巨人、杉浦は南海、本屋敷は阪急へと入団し、それぞれ活躍しましたが、
1959(昭和34)年の日本シリーズで、南海は、杉浦の4連投4連勝という、大活躍により、巨人をストレートで破り、悲願の日本一を達成しました。

その、大投手の杉浦には、二つの特徴が有りましたが、
それが「メガネをかけている事」と、「アンダースローの投球フォーム」でした。
杉浦は、アンダースローから、物凄い剛速球を投げて、各球団をキリキリ舞させたのですが、

そもそも、杉浦が何故、アンダースローになったのかといえば、そのメガネのせいだった、という事らしいのです。
立教大学に入った当初、杉浦は、普通のオーバースローで投げていたのですが、
その頃から、杉浦はメガネをかけていました。

ところが、その当時のメガネは、セルロイド製で、投球を行っていると、すぐにメガネがズレてきてしまい、杉浦は、大変困っていたそうです。
当時は、コンタクトも有りません(普及していません)から、メガネからコンタクトに変える、というわけにもいきません。

そこで、杉浦は、メガネがズレないようにするために、アンダースローのフォームを編み出したと、後年、語っています。

もし、杉浦の時代に、コンタクトが有れば、アンダースローの大投手・杉浦は生まれていなかったかもしれない…そう考えると、とても面白いですね。

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